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公益社団法人 青森青年会議所

治平(じへい)天成(てんせい)(ねがい) 浪岡(なみおか)北畠(きたばたけ) 油川(あぶらかわ)奥瀬(おくせ

作: 立田 龍宝




 善知鳥(うとう)(むら)と呼ばれていた頃の青森。浪岡北畠氏の先祖である北畠親房(ちかふさ)は村上源氏の流れを汲む名家の生まれで、後醍醐天皇から厚く信任された。また親房(ちかふさ)の子顕家(あきいえ)陸奥(むつ)鎮守府(ちんじゅふ)将軍(しょうぐん)という高い位に就き、のちに宮城県の多賀城にて陸奥国を治めた。

 その後、顕家(あきいえ)の子(あき)(なり)が陸奥の南部氏を頼って北に向かい、浪岡に入部し浪岡御所を構えると、外ヶ浜、西海岸において北畠氏は大きな影響力を持った。北畠氏は油川の熊野(くまの)十二所(じゅうにしょ)権現(ごんげん)の再興にも関わり、地域の信仰の中心地を設けた。その油川は交易船が出入りする商港であり、「家数(やかず)千軒(せんけん)、外ヶ濱一の大邑(たいゆう)」と呼ばれ、陸奥湾に広がる海上交通の中心地となった。また陸上交通に於いても羽州街道、松前街道、善知鳥村を経て、南部領に向かう三本の街道が集まる要であった。そのような油川を治めていたのが、南部藩の家臣 奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)である。奥瀬氏は南部高信より油川城の城主に任命され、北畠氏と共に浪岡油川を発展させたのである。

 ねぶたは、密教法具を握りしめる浪岡の北畠氏と、陸奥湾を巡る交易船に乗った油川の奥瀬氏が、郷土青森の繁栄という同じ夢に向かって活躍している姿である。二人の視線の先には、平和と繁栄の象徴である神々しい龍が輝いている。

 新たな元号が制定された本年が、浪岡北畠氏と油川奥瀬氏が青森を繁栄へと導いた熱き想いを継ぎ、近郷(きんごう)近在(きんざい)善男(ぜんなん)善女(ぜんにょ)で賑わっていた中世の頃の美しさを陸奥湾に写し、自らの意思で以て郷土を愛する行動を興す時代となることを切に願っている。

 


≪ 青森菱友会 2019年の大型ねぶた紹介 に組・東芝 ≫
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