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東北電力ねぶた愛好会

後藤又兵衛の奮戦

作: 穐元 和生




 槍をとっては天下に敵なしとうたわれた「後藤又兵衛基次(ごとうまたべいもとつぐ)」は、朝鮮の役、関が原の合戦で活躍し備前大隈城一万六千石の城主と なるが、黒田長政との確執の果てに浪々の身となりその後、豊臣秀頼に招かれて大阪冬の陣に参戦し縦横無尽の働きぶりを示した。
 時は慶長二十年五月五日、野戦の得意な徳川家康の大軍をこの少数の軍勢で迎え撃つには大和・河内国境の天険によるべしと、真田幸村・毛利勝永と決別の盃を交わし、六日の朝をまたぎ国分玉手山を目指した。
 六日未明、深い霧の中を道明寺に着いた又兵衛は、すでに東軍が国境を越え国分寺に入り布陣していることを知り間髪を開けず攻撃を開始した。これが「大阪 夏の陣」の開戦である。世に伝わる「小松山争奪戦」は数時間に及び、一度は敵勢を退けたものの伊達政宗・堀直寄・水野勝成らの来援に及んで、又兵衛自ら盾 を右手に疾風と敵陣の銃弾へ突撃を敢行し「名を惜しみ節を全うする武士の花」と散った。


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