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青森自衛隊ねぶた協賛会

平 貞盛 天誅の一矢

作: 有賀 義弘




 939年11月平将門(たいらのまさかど)は、かねてから中央に不満だった所から故郷(こきょう)に帰って関八州(かんはっしゅう)を切り従え、下総 (しもふさ)の石井郷(いしいごう)に宮殿を設け、自ら新皇(しんおう)と称し、左右大臣(さゆうだいじん)を初め文武百官(ぶんぶひゃっかん)をおいて 朝廷に反抗した。
 940年2月藤原忠文(ふじわらただふみ)に征討(せいとう)を命じたが、これより先、将門のために父を討たれ領地を奪われた平貞盛(たいらのさだも り)は、下野(しもつけ)の押領使(おうりょうし)藤原秀郷(ふじわらひでさと)と力を合わせて兵をあげ、自ら陣頭に立って将門を攻めた。
 勇猛剛胆(ゆうもうごうたん)な将門少しもひるまず悍馬(かんば)に鞭打(むちう)ち六角(ろっかく)の大鉄棒(おおてつぼう)を振り廻し幸縦横無儘 (さいはじゅうおうむじん)に暴れ廻る様は、夜叉王(やしゃおう)再来(さいらい)かと思われ、近寄って組打ちする者も無い有様(ありさま)を見た貞盛 「己(おの)れ大逆臣(だいぎゃくしん)父(ちち)の仇(あだ)、天誅(てんちゅう)の一矢(いちや)受けて見よ」と満月の如(ごと)く弓(ゆみ)を引き 絞(しぼ)りヒョーと放(はな)せば狙(ねら)い違(たが)わず眉間(みけん)に中(あた)り流石(さすが)の将門も急所の痛手にたえずドット落馬し遂に 貞盛に首をはねられた。


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