トップページ >  アーカイブ >  大型ねぶた紹介 >  青森市役所ねぶた実行委員会

青森市役所ねぶた実行委員会

武蔵坊弁慶 仁王立

作: 穐元 鴻生




【由来】
 平家討伐後、兄頼朝(よりとも)との確執により、奥州平泉へ逃れた源義経(みなもとのよしつね)と武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)ら数名の家臣。
 頼朝は追討の手を緩めず、文治五年(1189年)、義経をかくまっていた藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に命じ、兵百をもって義経の居住する衣川館(ころもがわのたち)[高館(たかだち)]を襲撃する。
 これに対しわずか八名で奮戦する弁慶らであったが、最後には数十本もの矢を全身に受ける。
 それでも弁慶は長刀を杖に仁王立ちとなり、その威容に恐れた敵兵は近づくことができなかったと云われる。
 このとき、義経も自害し、ともに三十年余りの短い生涯を閉じることとなる。
 しかし、亡くなったのは身代わりであったという説もあり、その後における様々な義経伝説が後世へと語り継がれている。
 五百年後、当地を訪れた松尾芭蕉が、藤原三代の栄華と義経、弁慶らの末路を想い詠んだ句が「夏草や 兵どもが 夢の跡」である。


≪ 青森市PTA連合会 2004年の大型ねぶた紹介 ヤマト運輸ねぶた実行委員会 ≫
掲載画像の無断複写・転載を禁じます。