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(社)青森青年会議所

直訴 藤田 民次郎

作: 内山 龍星




 天明の大飢饉から三十年、この頃、相次ぐ凶作と過酷な年貢の取立てや疫病の流行など津軽藩農民の生活は困窮を極めた。文化十年(一八一三年)、冷夏によ る不作が決定的なものとなると、弘前城北一帯の庄屋達は同士を集め、津軽農民の窮状を救わんと一揆を決意した。九月二十八日決起の日、岩木川原に集まった 農民達は簾旗、竹竿を打ち立て、日の出とともに城を目指した。亀甲門を突破し、賀田門に迫った四千人の農民集団に対して、鎮圧の為に招集された藩士達はそ の勢いを止められずにいた。騒乱の中に飛び込んできたのは、鬼の異名をとる大組物頭、山本三郎左衛門(やまもとさぶろうざえもん)である。馬上から槍を構 え、怒声を上げる三郎左衛門に怯んだ農民集団の中を掻き分けて三郎左衛門の前に出たのは、三尺の竹竿に差し込んだ訴願状、連判状を手にした、若干二十二歳 の鬼沢代理庄屋、藤田民次郎であった。三郎左衛門は威圧に屈せず決死の覚悟で請願を続ける民次郎の心情を察して訴願状を受け取り、藩主に取り次ぐ事を約束 した。
藩主寧親(やすちか)はこれに応え、農民救護策を行った。民次郎は一揆の責任を一人背負い斬刑となったが、民次郎の勇気ある行動と尊い犠牲によって、多くの農民が飢えの脅えから開放されたのであった。


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