青森大学

蒙古襲来

作: 北村 隆




蒼き狼の子孫 フビライの率いる元は、ついに日本征服に目を向けた。一二六八年(文永五年)以来、蒙古・高麗の使者がフビライの国書を持って実に五回にわ たり日本を訪れた。鎌倉幕府はこれに対し、北条一族の期待を一身に担う「北条時宗」を第八代執権として正面に押し出しこれにあたらせることにした。

ときに時宗十八才の青年武者であり、彼は後に「内憂外患の宰相」と呼ばれた。幕府は、表面上、平和的通交を求めてはいるが蒙古軍の侵攻を匂わせるフビライの衝撃的な国書をあえて黙殺し、祖国防衛のため侵攻に備える道を選ぶこととした。

そして一二七四年の文永の役、一二八一年の弘安の役と二度にわたり蒙古軍の襲来を受けたのである。しかし二度とも幸いなことに突然の大暴風雨のおかげで形成危ういところを辛くも切り抜けることができた。

この二つの役で大活躍したのが、幕府の高官でも武将でもない「竹崎季長」であった。彼にとって蒙古軍の襲来は、祖国を守り、失った領地を回復して名声を上 げる千載一遇の機会でもあった。本年度の青森大学のねぶたは、小舟で近づき蒙古軍の軍船内に乱入して大いに奮戦する「竹崎季長」の勇姿である。


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