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ヤマト運輸ねぶた実行委員会

津軽三味線名人  無限響高橋竹山

作: 穐元 鴻生




一九一〇年(明治四十三年)六月十八日、幼名定蔵として津軽三味線の名手、高橋竹山は東津軽郡中平内村(現在の平内町小湊)で生まれた。

二歳になる頃、「麻疹」で、目が見えなくなってしまった。小学校へ入学すると、「メグ・メグ」(目が見えない人の事)といじめられた。

大正十三年十一月~十五年十月、師匠の戸田重次郎のもとで、三味線の修行をしたが、二~三曲習って、習う曲がなくなってしまった為、十七歳になった竹山は、一人で北東北・北海道へ三味線の旅に出た。

富山の薬売りでも行かない山奥や、草深い田舎、浜風の強い漁村ばかりを門付けしながらさまよい歩き続けた。

雨・風の中を歩くので、三味線はボロボロで、皮がただ張ってある状態だった。夏場は下駄の鼻緒は針金。血が出ても鼻緒が切れるよりましだった。それでも、肉体的な苦痛は我慢できた。一番つらかったのは、世間の冷たい目。三味線がいくら上手でも関係なかったのだ。

このねぶたは、故高橋竹山先生の力強い太棹の響きにかける芸道、苦悩の寒風吹き荒れる津軽路と北海道の旅。三味線の人生に生きた竹山の若き日の姿を再現したものです。
心眼風雪の旅路…


≪ 青森大学 2001年の大型ねぶた紹介 (社)青森青年会議所 ≫
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