青森大学

木曽義仲 火牛の夜襲

作: 北村 隆




 1183年、平清盛のあとを継いだ宗盛は、源頼朝の従弟、木曽義仲が信濃に兵を挙げ京を目指しているとの報に接し、維盛に義仲討伐を命じた。維盛軍は進 軍を続けついに加賀(石川県)と越中(富山県)の国境、砺波山(となみやま)の倶利伽羅峠(くりからとうげ)で義仲軍と相対(あいたい)することになっ た。その数平家方4万人源氏方2万人とも言われている。義仲は幼少より木曽育ちで山に詳しく、平家軍を巧みに山の上へと追いあげた。しかし平家軍は、すで に夜であり山道も狭いので夜襲はないものと油断をしていた。
 そこで義仲はこの状況を知り奇襲・夜襲の必策を実行に移した。それは燃えるたいまつを何百頭もの牛の角に結びつけ、山上の平家陣営めがけ突っこませるというものであった。その結果、牛は火に驚き鳴り物に追いたてられて平家陣営に突入し暴れまくった。
 このため平家軍は大混乱に陥り峠の下へ下へと逃げまどうばかりであり、しかもその先は断崖絶壁が続いて、真下には急流渦巻く倶利伽羅谷が待ちうけてい た。その結果逃げ道を失って谷に転げ落ちる平家武士は数をも知れず、源氏軍は大勝利を収めたのである。この戦(いくさ)の後、義仲は京都に攻め入り、平家 は都を捨てることになる(平家の都落ち)。


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