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日本通運(株)ねぶた実行委員会

神武東征

作: 福井 祥司




 人皇(じんくわう)第一代神武天皇は鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)の御子にて もと神日本盤余彦尊(がんやまといはれひこのみこと)と申し 頗(すこぶ)る英邁な御方で 御兄皇子が在(お)はすにも不拘(かかわらず)皇太子に立たせられた。
 其の頃 九州地方は 天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)より三代 日向に都せられし為め皇恩洽(あまね)き亘ったが 大和地方は御威光が及ばぬため 悪者がはびこって 悪事を働いて居た。
 尊(みこと)は 神勅に答へて 天業を恢弘(くわいかう)し 草民を安撫しようと 皇兄五瀬命(いつせのみこと)と共に海路数年を経て 浪速に上陸遊さ れ 大和に向って御進軍になったが 賊の頭目長髄彦(ながすねひこ)の 頑強に抗するに遭ひ 五瀬命(いつせのみこと)は 賊の流矢に当(あた)り薨(こ う)ぜられた。
 そこで尊(みこと)は 巳(や)むなく再び御舟にて 紀伊の熊野に御上陸 千古の老樹生茂る中を 八咫烏(やたがらす)が御導き申して 吉野の川筋に無事着き給ふた。
 ここで 數多の賊共を降(くだ)して 大擧長髄彦(ながすねひこ)を征伐に進まれ この激戦の最中 一天俄(にわ)かにかき曇り 黒雲天を被ひ 風荒れ た折柄 一羽の金色の鵄(とび)が飛び来り 御弓の上弼(うわはず)に止った。その燦々たる光に 賊共は忽(たちま)ち目が眩み 戦ふ力を失ひ降服した。


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